たかてつの成長日記

ごく普通の理系大学生がただひたすら自分の好きなことを書き留めるだけのブログです。教育系Youtuberを目指しています。大学では次世代バッテリーの1つであるカリウムイオン電池の研究開発をしています。

嫌われる勇気

以前のブログでも紹介した、「嫌われる勇気」という本の話。

タイトルだけ見ると、嫌われることを恐れるな!みたいな内容だと思うかもしれないが、実は全く違う。

自分がこの本にタイトルをつけるとしたら、
幸せになる唯一の方法」だ。

何かを始めようと思ったとき、人は出来ない理由を探しがちだ。まだ知識が足りないから無理だとか、お金が貯まったらやるだとか、もう少し時間ができたらやるだとか。

このような思考をオーストリアの心理学者アルフレッドアドラー原因論と名付けた。そして、原因論に基づいて生きている人は一生幸せにはなれないと警鐘を鳴らした。

同時に、アドラーは幸せになるためには原因論ではない別の生き方を選択する必要があると説いている。それが、目的論的な生き方だ。

例えば、今の職場に不満を抱えているのにもかかわらず、転職しようとはしないAさんがいたとする。

原因論的な視点だと、Aさんが転職しないのにはなにかしらの「原因」があると考える。

Aさんが転職できない原因として考えられるのは、「本当は転職したいけど、仕事が忙しくて探す時間がない」「今は仕事が多い時期だから、やめると周りに迷惑がかかる」「ここまで続けてきて今さらやめるのはもったいない」「やめた後のことを考えると不安」などだろうか。

このような、○○という原因で、~しない、~できないという発想、これが原因論的な発想だ。

一方で、目的論的な視点では、Aさんが転職しないのにはある「目的」が先にあると考えるのだ。一体どういうことか。

結論からいうと、Aさんは転職できないのではない。
本当は、「転職したくない」のである。

転職したくないという目的が先にあって、あとから最もらしい原因を付与しているのだ。

本人が気づいてないだけで、
「安定した生活」>「新しいことを始める恐怖」
「不満な仕事を続けること」>「新たな一歩を踏み出す面倒さ」
などを天秤にかけ、無意識のうちに「転職しない」ということを決定しているのである。そして、その「転職しないという目的」のために様々な原因を後付けしているのだ。

このような考え方が、目的論的な発想である。

原因論と目的論、どっちが正しいという話ではない。自分がどちらの生き方を選択するかという話だ。

この本を読んだとき、自分は今まで原因論に縛られて生活してきたことに気づいた。そして、このままでは自分を変えられないことに気づいた。10年後、20年後、あの時こうしていればと、過去の自分に言い訳している自分を想像したら、このままではまずいと思った。だから、この本を読んだ日、その瞬間から、目的論で生きていくことを選択した。

原因論で生きている限り、人への責任転嫁、自分への言い訳がつきまとう。一方で、目的論的な生き方であれば、常にするか、しないかを自分の意思で選択することになる。

今の自分があるのは、自分の選択の積み重ねの結果だ。過去の選択は変えられないが、今この瞬間迫られた選択は、自分に選ぶ権利がある。だらだら過ごすことを選択する人もいれば、成長を選択する人もいる。

どちらか1つの生き方を選択するなら、自分は後者を選択したい。